もしもの時は

臨終に立ち会う。人間の生命がこの世からあの世へと旅立つ瞬間を、自宅で看取ることが少なくなり、病院で亡くなることが多くなりました。

病院で亡くなるとすぐに葬儀屋さんが紹介され、その葬儀屋さんの手配にすべてを任せてしまう、というのが都市部では当たり前になってきています。ましてや核家族化が進むなかで、とても良きアドバイザーであるおじいさんや、おばあさんと一緒に暮らしていない、また一緒に暮らしていても、そのおじいさんやおばあさんが、亡くなってしまうことがおおいわけです。ですから、こうした時こそ、遺族があわてず、菩提寺の住職とよく相談して、亡くなった方をお送りしたいものです。

「畳の上で死にたい」と言いますが、家族にとっても、臨終を迎えつつある家族や親戚の面倒をみ、その臨終を看取ることは、その方にできる本当に最後のお世話になります。いったい、どのようなお世話が私たちにできるのでしょうか。

安らかに生を終わらせる、このことを忘れずにすべきことを考えてみましょう。

枕経とはこうした臨終を迎えつつある方の枕元であげるお経のことです。室内を清らかにし、また臨終の人の心が乱れることのないよう物音などにも気を配り、来迎仏やお名号の掛け軸や風を枕元に飾って行うお経です。ですが、なかなか臨終の瞬間にお坊さんに立ち会ってお経を唱えてもらうことが難しいこともあるでしょう。ですが、昔から臨終に立い会う習わしもありますので、菩提寺の住職に相談されるとよいでしょう。そんなときは、家族や親戚で南無阿弥陀仏とお念仏を称えてあげましょう。

看取る人全員で低声で念仏を称え、来世に向かおうとする人に一度でもよいのですから、南無阿弥陀仏と称える力を出させてあげるようにできれば、それ以上の功徳はないでしょう。そして、本当に臨終の瞬間が来そうな時には清らかな水を用意して、綿または筆で当人の唇を潤してあげます。いわゆる末期(まつご) の水です。また病のせいなどで死苦にせまられている時などは当人の手をしっかり握り締め、阿弥陀さまのご加護を祈りましょう。幸い病苦に迫られず、静かに臨終を迎えることができるならば、死期を悟った当人の最後の言葉を聞き漏らさないようにしたいものです。

さらに、臨終の瞬間をとらえた善導大師の『発願文(ほつがんもん) 』を静かに朗読することも、当人のこころを落ち着かせるとともに、看取る側のこころも落ち着くことでしょう。

死亡後の手続き

葬儀について調べたり、家族で話し合ったりすることは縁起が悪いとか、不吉だと思いがちですが、万一の時手遅れになったり故人の遺志を尊重できなくなることのないように普段から心がけておくことが大切です。

例えば病人やけが人が危篤状態になったことを医師から知らされたら、家族や三親等以内の親戚、会いたがっている友人や知人にも連絡をとるとよいでしょう。

また菩提寺が遠隔地の場合などは、お寺とよく相談をしておくことも必要です。

死に臨んで、本人が何か言いたがっている場合、傍らにいる者はよく聞いてあげますが、その際財産に関する様な大事な遺言は、文章にしておいたりする等、法的なことを前もって専門家に相談しておくと役立つでしょう。

死亡届を提出したら火葬(埋葬)許可証を発行してもらいます。この許可証がなければ葬儀も火葬も埋葬もできませんので、大切に保管し、お寺や霊園の墓地管理者に提出して、納骨をすることになります。

死を宣告されたら、臨終に立ち会った医師が「死亡診断書(死体検案書)」を記入し、隣の欄の死亡届には、同居人または親族が必要事項を記入し、臨終の当日か翌日には死亡地・死亡者の本籍地、届け出人現住地のいづれかの役所へ届けます。

 

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