歴 史


【室町時代】

大永元年

1521年  正覚山 十劫院 阿弥陀寺 開基。この当時の本尊阿弥陀如来は、高麗寺阿弥陀像で安阿弥(快慶)作といわれている。

実空代

第一世

【桃山時代】

 天正7年

1579年  火災で焼失  

慶長2年

1597年 二度目の造営。その際に、性月大徳の所有されていた仏像を本尊とする。等身の漆箔、寄木造像で来迎院を結び彫眼である。定朝様を留めるが、鎌倉時代前期の制作と思われる。(嵯峨美大、中野玄三氏による) 信誉善西代

【江戸時代】

元禄11年

1698年 喚鐘寄贈 施主 阿弥陀寺総檀中  見誉代

正徳2年

1712年 三度目の造営、平成一四年本堂解体の際棟に正徳二年の古材を再利用したとあるので、そのことが判明した。「正徳二年故材 安政六年未八月再用」(中央の梁西側)「正徳二年辰五月故材 安政六年(あと読めず)」(南北東の梁)  

正徳5年

1715年 秋彼岸 釈迦涅槃図寄進、作者不詳 「施主 田中源八」観経曼陀羅     作者不詳 施主不詳 時代不詳   

享保12年

1722年 地蔵菩薩寄贈   厳誉代

享保13年

1723年

観音菩薩、勢至菩薩寄進

観音菩薩「施主 平右衛門、伊右衛門、市郎兵衛、平三郎、勘兵衛」

勢至菩薩「施主文四郎、平次郎、喜助、中兵衛又七」 

厳誉代
享保16年  1726年   善導大師、法然上人寄進   厳誉代
宝暦10年 1760年  屋根瓦葺き替え、平成一四年本堂解体の際鬼瓦に銘があり判明した。(椿井の瓦師井上太郎兵衛)それまでは瓦葺きか茅葺きかは判らない。   
明和8年 1771年

庫裡建立、平屋瓦葺き

 
文化10年 1813年

本堂修復、世話人(惣七、新吉、喜三郎、新七、為八、庄岳衛、金蔵、勘岳衛)の名前がある。過去帳より

 津誉代
安政6年 1859年

 四度目の造営、平成一四年に解体された本堂であることが明らかになった。この本堂は正徳二年の古材と安政六年の材木により建立された。安政六年寄附施主田中源八、大山藤九郎、

井上新右衛門 井上忠介」等の名前が桁や梁に書かれていた。

 雷雨代

【近現代】

 明治23年

1890年

 鐘楼再建    (過去帳による)

相誉代
 大正12年  1923年   本堂修繕   乗誉代
昭和17年  1942年 大東亜戦争金属回収により鐘楼提  乗誉代
昭和40年 1965年

地蔵堂修復、宇治平等院より千体釈迦佛堂移築

⁽二十三世心誉上人と妙琳尼が平等院の塔頭寺院浄土院より晋山の縁により。) 

心誉代
昭和46年 1971年  

 庫裡増築、五重相伝開演の為  
   山門修復

  心誉代
昭和57年 1982年

庫裡改築及び、南北の土塀、東側、北側の塀と水路の整備。 老朽化の為 

 光誉代
平成14年 2002年

五度目の造営に着工   

成誉代
平成15年 2003年

本堂、書院造営工事完成、落慶法要

成誉代
平成18年 2006年

35年ぶり五重相伝開筵

成誉代
平成30年 2018年

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