【今月の言葉】

一休さん(1394-1481)は、室町時代の「臨済宗」の京都出身の禅僧でした。「一休」という名前は通称名で、名は宗純(そうじゅん)と言い、後小松天皇の子と言われています。

春になり桜の花が咲くと人々は花の美しさを愛でて宴を楽しみます。また、その花が散り始めると無常を感じたり死を意識したりします。しかし、それは花という表面的な現象であって花を咲かせる草木の一部に過ぎません。草木は、そんなことに構わずただ散れば咲き、咲けば散るだけのこと。そして、春だけでなく夏も秋も冬も、草木であることに変わりありません。

人生にもまた栄枯盛衰があり脚光を浴びる時期があれば下積みを強いられる時期もあります。一部の現象でしかない出来事に囚われることなく全体を観る真の姿を捉えることが大切です。

仏教ではこの「とんち」のことを(公案)といいます。起こった事柄は「事実」と言い、その後ろに隠れた本当の姿「真実」を見抜く修行をおこないます。

皆さんご承知の「この橋渡るべからず。」のお話も、この橋は渡っても危険がないということがことが「事実」そして言葉に騙されず中央を渡ったことが「真実」です。