【今月の言葉】
のび太がご先祖様に代わって、戦争で手柄を立てることになった時、どの軍に加わるかで悩んだのび太くんはドラえもんに「どちらの軍が正しいの?」と聞きました。
その時のドラえもんの答え。
『どちらが「善」でどちらが「悪」か。それは、立つ立場の違いによって変わるものでしょう。』
とこたえました。絶対的な善悪は存在しないのかもしれませんね。
修羅道とは
闘争を好む性格や境遇のことを修羅道といい、闘争の場面を修羅場といいます。
仏教用語の修羅は「阿修羅」の略で、闘争の神として有名です。ですが、もともと阿修羅は天界の神だったのです。どうして闘争の神になったのでしょうか。こういう説話があります。
阿修羅が闘争の神になったわけ。もともと阿修羅は天界のなかで「正義を司る神」と言われ、帝釈天が主である三十三天という所にに住んでいました。阿修羅にはシャシーという娘がおり、いずれ帝釈天に嫁がせたいと思っていました。
ところが帝釈天が待ちきれず、シャシーを力ずくで奪ってしまったのです。怒った阿修羅は、帝釈天に戦いを挑むことになりました。それに追い打ちをかける事態が起
こります。娘のシャシーは帝釈天を愛してしまったのです。これは父である阿修羅とその一族を裏切る行為であり、阿修羅の怒りは頂点に達し天界を巻き込む大戦争となりました。やがて復讐の悪神と化した阿修羅は帝釈天にやぶれ、天界から追放されてしまうのです。
正義の神・阿修羅が「復讐の悪神」に変貌するとは。阿修羅の物語は、誰もが修羅の心をもつ教訓だと受け止めるべき教えとして伝えられてきました。
この話しって、じつは私たちの身のまわりでも起きることだと思いませんか?
大事にしていた物を奪われる。身内に裏切られる。信頼していた人に騙される
修羅の道に生きる私たち。これはけっして無関係ではなく、誰でも暴力に訴える要素がありますね