【今月の言葉】

今月の言葉は、全国浄土宗青年会が編纂した「伝えることば」という伝道文例集からの出展です。ぱらぱらとめくってみると、なかなか面白いのです。

 『意思が濁ると意地となり、口が濁ると愚痴となり、徳が濁ると毒となる』という面白く傑作な作品を見つけました。

「意思」を強く持って一つの事を成し遂げようとしても、周囲のことを考えず自分勝手に行動したら、あの人は「意地」でやっているとしか思われません。

素晴らしい言葉を「口」(話しても)にしたとしても、心の中が嫉妬やねたみ、相手をだまし欲望に満ちていたら、気づかないうちに言葉の端々に「愚痴」が入ってしまうものです。

いくら「徳」(善業)を積んだからといっても、それを自慢し鼻に掛けてしまったら、それは本人にとっても周りの人にとっても「毒」(悪業)にしかならないものです。

「濁りのテンテン」、濁点がついただけで、それぞれの言葉の意味は大きく変わってきます。この「濁りのテンテン」っていったい何なのでしょう?

そう、それは「俺がやってやってるのに」とか「私が言ってあげてるんだから」とかいう「俺が俺が」「私が私が」の「が」。

つまり「わがまま」の「我」が「テンテン」になって心にくっつくと、口も愚痴に、意志も意地に、徳も毒になってしまうのです。

毎日の生活の中で、気づかぬ間に心のどこかに「濁りのテンテン」がついていないか、時には省みてみることも必要でしょう。年回忌やお盆、お彼岸の時だけがご供養の時ではありません。日常の生活の中で故人様を想いだすその折々に、

「あの方に話したことが愚痴になっていないだろうか」

「自分では良いと思っているけど、意地になっていないだろうか」

「いつの間にか毒をまいているようなことをしていないだろうか」

そんなことを胸に浮かんだ先だたれた大切な方やご先祖様に問いかけてみることも、よい供養になるのだと思います。

「世の中は 俺が俺がの『が』を捨てて おかげ、おかげの『げ』で暮らせ」