仏教に教えられる我慢

 「慢」とは慢心とも言い、うぬぼれ心のことです。 仏教で「我慢」とは、「我」に対する「慢」ですから「自分こそが正しい。他人は間違い」と我を通そうとする心です。この心のために自分の間違いに気付かず、また気付いていても間違いを認めることができません。

 「幼児のケンカは衝突も早いが仲直りも早い。今泣いていたかと思うともう笑っている。小学生は一度衝突すると二、三日ぐらいは口をきかないが、中学になると一、二週間になる。高校生になると一カ月ぐらい、大学になると五、六カ月はかかる。社会人ともなると、余程の仲裁人でも入らぬ限り困難である。老人のケンカになると、棺桶に入るまで絶望的となる」という話がありますが、「老成円熟」という言葉がある一方、「年寄りほど頑固だ」とも、ささやかれます。

 オレがオレがの「我慢」は、年を増すごとに強くなるのかもしれません。こんな歌があります。

 「世の中は 俺が俺がの我を捨てて おかげおかげの げで暮らせ。」

このような意味から自分自身に固執する=強情であることを表すようになり、やがて「自分の意志を通す強さ」に変わり、安土桃山時代~江戸時代には、「忍耐」の意味になって現代まで続いています。